終わらない旅

2003.09.11 終わらない旅

2001年、自分で作ったキャンドルと共に日本を旅する。

ダライ・ラマの聖なる音楽祭で広島の平和の火を灯す。長崎では浦上天守堂で、北海道ではアイヌと呼ばれる人たちの歴史と現在を学び、恐山や出雲大社などいくつかの神社やお寺をまわる。女性たちが中心になって作った「スマイル」というイベント、「フジロックフェステイバル」や「武尊祭」など、さまざまな野外イベントでもキャンドルを灯した。

東京にいるだけでは分からなかった今の日本を、五感をもって知った旅。

そして、原宿にある「ロケット」というギャラリーで、自分の感じた日本の断片を展示しようと準備していたあの日、9/11。

あの日から旅は終わらない。

2002年、アメリカから沖縄へ。

2001年のクリスマス。
原爆ドームの前で朝までキャンドルと過ごして出た答え。

西から東へ、なるべくたくさんのアメリカ人に逢い、
なるべくたくさんの場所でキャンドルを灯す。
そして”グラウンド・ゼロ”と呼ばれた場所へ。

2002年、9/11までにアメリカツアーを終わらせる。
9/11には東京で実際に感じたアメリカの報告イベントをする。
その後、同じキャンドルを持ってアフガニスタンへ行く。
年末には、これら全ての報告を持って、沖縄へ渡る。
この旅を「2002 Candle Odyssey」とした。

しかし、アフガニスタンの気候の問題と金銭的事情などいくつかの問題からアフガニスタン行きを断念する。

沖縄には年をはさんで行くことができた。喜納昌吉さんとその大きな家族との素晴らしい出逢いや戦争の悲惨さ、基地問題を知り、また美しい自然と音楽を楽しんだ。いくつかの戦地跡や鍾乳洞をまわり、そのなかのひとつ「ぬちしぬじがま」という鍾乳洞で一晩キャンドルとともに過ごした。

2003年の春、雪解けを待ちアフガニスタンにいこうとするがイラク戦争が始まる。飛行機が飛ばなくなったり、自爆テロが起きたり、問題があったが、6月にようやくアフガニスタンに行く。

2003年、アフガニスタンへ。

アフガニスタンがどうだったかと聞かれたら答える順番を考える。なぜなら自分の言ったことが、その人のアフガンのイメージになってしまうから。

アフガニスタンのいくつかのイメージ……戦争が絶えない、外国からの攻撃、宗教の争い、それに伴う地雷の多さ、難民の多さ、そのために手足をなくした人々、餓死する人々、大量アヘンの栽培、テロリスト養成など、とにかく危ないというイメージ……

それでもみんなに聞かれて、考えてから答えた。

「アフガニスタンは美しいところだった」

これは無事に帰ってきた自分が感じてきたことの総評だから仕方ない。

今はイラクやイスラエルや北朝鮮が注目されていて、アフガニスタンはもう平和に向かっていると大抵の人は思っているだろう。しかし現状はすべての外国人が対象のテロが多発し治安も悪化している。それを一番に伝えなければならない。
地雷撤去の困難さや、次第に広がる貧富の差。干ばつも続く。良くも悪くも外国人が一気に押し寄せてきて大変なことになっている。もちろん自分もそのなかのひとりであるが。

なぜアフガニスタンへいく?

すべては9/11から始まった。

確かに悲惨で恐ろしい事件だった。でもそれ以上に恐怖したのは、その後のアフガニスタンへの報復攻撃とそれに賛同する日本。そして、そんな事件すらあり得ると認め、飲んだくれながらアメリカや小泉さんを批判をしている自らにだった。

自分がまともであるとするために誰かを悪者だとしていた。
自分に否はないのか?
自分には何の責任もないのか?
アフガニスタンへ、謝りに行く。
報復攻撃を止められなかった、ひとりの日本人として。

9/11 新しい戦争のかたち。

今、日本は戦争に参加している。
こう考える自分は狂っていると言われるのかもしれない。
でも、テレビをつけても新聞を読んでも「北朝鮮との関係もあるからアメリカに従う」として、イラク戦争にも反対せず協力する日本がいる。日米安保がとか、これからの経済がとか、日本を守るためだとか。誰かが憲法第9条を口にすると「いまさら」と馬鹿にされる。

誰か教えてほしい。

昔、先生たちは戦争の悲惨さを教え「二度とあってはならない」と言った。
学校でも「ルールを守れ」と、社会でも「法律を守れ」と言った。

今、日本はどんなルールで動いてる?
どんなモラルで動いてる?
戦争は終わらないということが常識?
今、先生と呼ばれる人たちはなんて教えてる?

どんなかたちにせよ、戦争に反対せずに協力しているこの国を。

地雷に守られた大自然。

日本にも綺麗なところはたくさんある。
例えば、自然保護された国立公園。マイカー規制をし、観光客の制限をするような場所だ。だが、自然の美しいところに行けばいくほど変な気分になる。自分がそこに行き、その素晴らしさを話せば、また何人かがその場所を訪れる。
いくら規制をしようが、たくさんの人間が集まればそこは街となる。人間を除いて生態系を維持する意味の自然保護を考えるならば。

その答えが、アフガニスタンにあった。
ここ何年かの干ばつで決して良い土地とはいえないが、素晴らしい景色がそこかしこにある。そこへ行く道にはいたるところに地雷の存在を知らせる、赤く塗られた石がある。

人は迂闊に前を走った車の轍からはみ出すことはできない。壮大な草原を自由に寝転がることもできない。してもいいが、自分の片足や片手をなくすことになる。雪解け水、山から流れる気持ちのいい川に汗を流してもらおうとしても、川の中用の地雷の存在を知る。そしてその川も来年はちがう流れ方をする。森が減り、地盤のもろい土地は山も崩れれば、川の行き先も変わる。ソ連侵攻時代に埋められた地雷は今も地中深くにあり、山から川に流されているのかも、いつ誰がどこにどのくらいの地雷を埋めたのかも誰も知らない。

自分の命をかけて、そんな大自然を訪ねる人が世の中にどれほどいようか。

地雷に守られた大自然。
なんて悲しいことか。
悲しくも美しい国アフガニスタン。

アメリカを旅し出逢ったインディアンは言っていた「人間は地球の生形態のなかで、良きバランスを保つキーパーとならなければならない」と。

美しいものには毒がある

アフガニスタンのかなり奥地にある村で、美しい花畑をみた。

それは道の両側に堂々とあり、ポピーの花というよりはむしろ野菜といえるぐらい大きくて、白い花だけでなく濃い紫や赤、黄色などの様々な色の花が咲き乱れている。

ただの花畑。それだけでも十分美しい。
人を狂わせる花畑。

アヘン撲滅のため、アメリカ軍はこの村にもやってくるという。
村の生活のことも考えてか、アヘン畑を燃やせば金をやるという。
しかし村の人たちは、今度アメリカ軍が来る時までにアヘン畑を増やし、さらにお金をもらおうとする。
偏狭の土地、過酷な自然、いまさら他に生活の糧を得る方法を知らない。

車が通る度、親達は撲滅運動の車じゃないかと警戒する。
でも何も知らない子供達は美しい花の合間から無邪気に手を振ってくる。
美しいと感じた瞬間。

でも、その瞬間にカメラを向けることができなかった。

自分のために行く。

ニューヨークの事件の後、自分の旅は個人の旅ではなくなった。たくさんの人の賛同と協力が集まった。
そう、それはまさに”平和のために”だったと思う。

「SWITCH」でアメリカの旅の報告をさせてもらった。
その時にその先の旅の話もした。アフガニスタンへも行くと。

誰も気にとめてないかもしれないが、アフガニスタンの旅の報告がしたかった。
広島や長崎や沖縄で灯し、アメリカでも灯してきたキャンドルを、アフガニスタンでも灯して来た、と。

人は言う。
「そんなお金があるのなら、わざわざ行かずに飛行機代も寄付すれば」と。
でも、自分は誰かを助けるために行くんじゃない。

自分のために行く。

アフガニスタンの誰かに謝りにいく。
仲良くなれるのなら、友達になってくる。
アフガニスタンの誰かのために、必死になって働く日本人に逢いに行く。
アフガニスタンの誰かに、アメリカにも良い奴がいたことを伝えたい。
日本で集められたお金がアフガニスタンの誰のためになってるかを知るために。
実際に行かなきゃできないことをするために。

いったい今まで日本はどれほどのお金を他の国に寄付してきただろうか?
どれほどの問題がお金で解決できただろうか?

また笑顔で会えるように。

自分は大人だ。

良い事も悪い事も教えられたりいろんなものをもらったりしていた子供時代は終わった。先生や親が社会が悪いと反抗していた側から、今はその対象にいる。
反抗される側にいる。もちろん、今でもおかしいことにはぶつかって行くが、自分にも責任があることを知っている。

若かった自分と、しっかり向き合っていたい。
これから生まれてくる子供たちにも「ようこそ」と言いたい。
いつまでも、たくさんのことを教えてくれたアーティストたちのファンでいたい。

広島や長崎や沖縄で出逢ってきた人たちと、
また笑顔で会えるように。

戦争は終わらせる。

日本にしかできないことがあると思う。

小さいながらも一時は近隣諸国を占領し、幾度かの大戦勝利を経験した。そしてその後、原爆体験をした。経済大国と言われるまでの復興と、ある意味特種な憲法のある国。

そんな日本が言えること。日本人ができること。

「世界の戦争を終わらせる」

できないとは思わない、誰かに頼ることもしない。
まず自分は自分のできる範囲で、戦争で生まれた悲しい場所に明かりを灯す。

戦争の原因は様々だろうが、結果はどれも同じだろう。
たくさんの人が死に、大きな悲しみが生まれる。
人が生きていく以上、争いは終わらない。

でも、戦争は終わらせる。

急がなければ。

アフガニスタンの子供たちは、日本では信じられないような生活環境だったけど、みんな目が輝いていた。逞しく生きていた。そんな彼等にたくさん元気をもらって帰る途中のアラブ首長国連邦で、長崎の事件を知った。

本当の幸せ、本当の悲しみ、本当に大切なこと、本当に素晴らしいこと。
時代を遡るつもりはないけど、改めて考えてみる時が来た。

急がなければ、新しい戦争は始まっている。
それは、突然やってくる。

通り魔のように、サリン事件のように、拉致事件のように。どんな大きな戦争でも、どんなに小さな事件でも、当事者たちの悲しみは変わらない。

だから、急がなければ。

この先の未来のことを。

戦争は終わるか?

戦争は終わらないと言わなくなれば終わるだろう。
争いは続くが、戦争は終わらせる。

世界平和とは、ひとつの国の考え方を押し付けることでもないし、
みなが平等と言うわけでもない。

誰か敵を作るのではなく、自分自身と戦う。

あの9/11から、その戦いが始まった。

2001 9/11
あの事件を伝えるニュースをみた後、ひとりで部屋にいることを止めて行きつけのバーに行った。そこでテレビをみながらマスターと話し合った。

2002 9/11
東京のクラブでアメリカの旅の報告をかねたイベントをした。たくさんの人が集まってくれた。

2003 9/11
今日はまたあのバーへ行き、友人たちと話し合おうと思う。
アフガニスタンのこと、イラクのこと、北朝鮮のこと、日本のことを。
この先の未来のことを。

2003.09.11 JUNE