CAMBODIA

Candle Odyssey 2005 -CAMBODIA- カンボジアへ

2005.1.7

カンボジアに向けて成田から出発。

初日の移動は日本から台湾へ
一緒に行く「大チャン」こと写真家の佐野大介氏とも合流できてカウンターへ。
エバー航空20:00発、台湾行き。
手荷物はほとんどがキャンドル、重すぎてオーバー分の12000円を支払う。
機内では、どうでもいい映画を2本も見てしまう。

台北」到着、天気は雨。 日本より暖かいが蒸し暑い。
そこかしこに漢字の表記があり、外国に来た気がしない。
バスに乗ろうとしたが「元」に両替していなかったため乗れず「USドル」で、支払いの出来たタクシーに乗り込み「台北駅」近くの、ゲストハウスに向かう。

ウインカーを全く使わずかっ飛ばすおやじタクシーは、裏路地にあるゲストハウス前まで着けてくれた。

入り口の急な階段は、改めて今回持ってきたキャンドルの重さを実感させる。
明日の朝早いフライトだったので出来る事なら空港にそのまま残りたかったが、
このゲストハウスで大チャンが偶然友人と再会したりしたので良い旅の始まりの兆しと思った。

明日早いので静かに眠る。

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2005.1.8

朝5:30起床
バスターミナルまで歩く。
ニンニクの匂いがたちこめるバスに乗りこみ空港へ。
「台北」から「プノンペン」。
またここでも、超過料金50ドルを支払う。
「プノンペン」まで無事に着いたが、ここから「シェムリアップ」までの国内線が五時間後だったのでバックギャモンをしながら待つことに。
定刻に出ていれば綺麗な夕陽の空を飛ぶはずだったが、残念な事に30分遅れで出発。
今回三回目の飛行機だが乗るたびに小さくなりシェムリアップ行きはプロペラ機となっていた。
シェムリアップに到着し、お世話になる小川紀子サンと会う。
ゲストハウスに行き、荷物を降ろし三人で食事に行く。

きっと日本では許可されないような危ない建て方の、ゆるいタイレストランに入る。
奥では何匹ものワニが飼われていて西洋人達がおもしろがって餌をあげていた。
二階の席に落ち着き、ここまでの長い片道がようやく終わった。
お互いの紹介などしてから、この旅の意味について話し合った。

アフガニスタンから次の場所となったここで
自分は何を学び、何が出来るのか
なぜカンボジアだったのか?

今のところ決まっているのは帰りの飛行機の時間だけだった。
お腹も満たされ、ゲストハウスへの帰り道アフガニスタンの「バーミヤン」も何年か先はこんな感じになるのかな?とも思いつつ、メインの華やかな道をバイクタクシーで走る。
屋台が立ち並ぶ通りを抜け、ホテルのような快適なゲストハウスに戻る。
部屋に入り長かった一日を振り返る。

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2005.1.9

非常に良い天気。

三日間のパスを買って「アンコールワット遺跡群」へ。
アンコールワットはまるで皇居のようで、その入り口では、オシャレなカフェや屋台がある。

そこで迎えてくれるのは子供達でポストカードなどを売りにくる。
英語や日本語で話しかけてくる。
「ワンダラーゴーツースクール」なんて言いながらついて来たりする。
複雑な気分にさせられるがどの子も強いまなざしであった。

「神様の城」とされているアンコールワットのなかはとても沢山の人達で何カ所かにお坊さんがいてお線香を売っている。
後に「バイヨン」にも行くが四回もお線香を買ってお祈りをするはめになった。

随分いろいろ歩き回ったが、王宮の庭を抜けると、忘れ去られたような遺跡があり、そこでしばらくたたずむことにした。

この植物達の浸食がすすむ遺跡にしばらくいた時、
太陽の光が差し込む森とそこかしこにいる鳥達の鳴き声とそよぐ風が、目には見えないもっと大きな存在を感じさせた。

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2005.1.10

7:30起床
「アキ、ラさん」という方が開いている「地雷博物館」に行く。
そこには地雷で手足をなくした子供達も生活していた。

アキ・ラさんは不在だったが、日本人のスタッフに詳しく地雷について
地雷撤去の状況、カンボジアの現状、そしてアキ・ラさんの夢などを聞かせてもらった。

また、改めて訪ねる約束をして、小川さんが働いている「IKTTクメール伝統織物研究所」を見学に行く。

森本喜久男さんが始めたここは伝統的シルク織物の復興に努めている。
後日森本さんと、お話をさせてもらえることになった。

午後アンコールで「アプサラダンス」が見られるというので遺跡に行く。
長い年月を感じる石の建造物と浸食していく大木達の前で、踊る子供達。

そこにかかる午後の日差しは美しく、今までの旅には感じなかった種類の平和な時間を過ごせた。
残り少なくなってきたカンボジアでのスケジュールを考えると、明日からが本番のようだ。

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2005.1.11

8:00 森本さんに会いに行く。

なれない取材というか、初めての事だったが、森本さんはこういったことに慣れているらしく言葉を選び、とても丁寧に話してくれた。
ここまでに至る道と、これからの事を。

森本さんは人生を楽しんでいる人でした。
カンボジアのためにしなくては。
子供のため、誰かのためではなく、自分がしたいこと。
その事に集中して追求していった結果、今があると言っていた。
そしてシルクを織るのに必要な人と出逢い、今度は繭もつくり、またそのための森を作る。
それは村を作るという事になり多くの人が関わって、そしてそこには生活が生まれる。

沢山の苦労もあるだろうが、自分のしたい事を一生懸命楽しんでいる。
今まで会って来た、かっこいい大人達と同じ空気を感じた。
いつもは、自分がインタビューされる側なので今回の取材の経験は新鮮で、違った視点で自分のことを考えさせられた。

IKTTを出て人気のフランスパンのサンドウィッチ屋台で昼食。

カンボジアは一番過ごしやすい夏の日の気候。
今日は来てから一番日差しが強く肌も焼け始めた。

昼食後新しく出来た慰霊碑に行く。
小川サンの運転するカブの後ろは快適で、移動の時間は気持ちの良いものとなった。

この慰霊碑はまだ出来たばかりらしく誰もいない。
ここで灯すのか?そうではないのか?
まだわからなかったが、またいつものゲップが出始め、その場を立ち去り近くの寺に行った。
(うまく言えないがいつもあまり良くない所なのか何か強烈な所にいくとゲップが止まらなくなる)
そこにも慰霊碑があったが、人骨を集めた慰霊碑はなんとも悲しい風景となっていた

偶然、「アンコールトム」で出逢った坊主の男の子とまた逢った。
辞書が欲しいと言い続けていた子だ。
何かの運命を感じたので、後日辞書を送る約束をした。

大チャンが、建物の角で頭を切ったのでゲストハウスに戻ることにした。
幸いたいした事がなかったので予定通りひろこさんのスナーダイクマエ孤児院に向かう。
ひろこさんは思っていた以上に若い女性で孤児院は思っていた以上に大きな建物。
孤児院の運営の大変さやカンボジアの事など忙しい合間をぬってたくさんいろいろなお話をしてくれた。

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2005.1.12

8:00出発
豚ライスを屋台で食べ、今回のもうひとり会いたかったアキ・ラさんのところへ行く。

山に入ってからまだ戻らないらしく明日の夕方アキ・ラさんの孤児院に灯しに行く約束を取り付けて次へ。

アンコールワットのなかで一番気になった「ライ王のテラス」にこの間とは違う道路で向かう。
東門から入りテラスに用意していた線香を灯し、西門に向かう。

このテラスに来ると風の谷のナウシカの漫画を思い出す。誰もいない城壁を2キロほど歩く。

その後も大変な田舎道を走り、湖のほとりにたどり着く。
現地の人しか知らないだろうレストランでハンモックにゆられながらランチ。
今までで一番暑い日差しにやられながらも次の訪問地へ。

また別の孤児院での「アプサラダンス」のレッスンを見に行った後、一度ゲストハウスに戻り今夜ロウソクを
灯すための準備をする。

夕方ひろ子さんの孤児院に向かう。
思っていたより多く、23人の子供達に迎えられる。
食事の後集まってもらってキャンドルを灯す。
1人の子供に訳してもらい、ここに至るまでの話をした。

その後シャボン玉を皆でしたがそれぞれの個性が伺えた。
みんなと別れ、ひろ子さんと夕食を食べに行く。

孤児院を経営して行く上での大変な点やここカンボジアの人達の事、いろんな話を聞かせてもらった。

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2005.1.13

最終日9:00出発
朝食後、「IKTT」へ。
自分が買った布を織った人を探すが残念ながら居なかった。

オールドマーケットに行き各自バラバラに買い物を。
その後、昨夜のカフェへ。しばらく反省や感想を述べつつゆっくりする。

大チャンがひろ子さんの写真を取りたいとの事で再度「スナーダイクマエ孤児院」に行く。

またお茶を出してもらい、カンボジアや日本の現状の問題や、これからの事、若い世代の日本人のことなど4人で語り合う。

15:00
新しい慰霊碑へ線香を持って行く。
一通り廻り線香を立てると今までのもやもやした気持ちがすっきりした。

一度「チェンラ」に戻り準備をしてアキ・ラさんのところへ向かう。
夕方着くと多くの子供達がサッカーをしている。
地雷で足を失なった子供達もまるで三本目の足かの様に巧みに松葉杖を使い走り回っている。
大チャンはそれに参加。

しばらくするとアキ・ラさんが帰ってくる。
目の光は強いが、話すと穏やかで自分達を快く受け入れてくれた。
サッカーをしている皆の先にカンボジアに来て一番の夕陽が落ちる。

18:00からアキ・ラさんの所にいる全員での芝居がはじまる。

カンボジアの、アキ・ラさんの歴史を語る芝居。
小さな子供からお母さんまでみんなが演じている。
ポルポト派の残虐的な行為やその後の戦争、ようやく平和を取り戻したカンボジアの現在に至るまでの芝居。

そして最後は、お客さん達も巻き込んでの踊り。
一本の木を中心にみんなで輪になって踊る。
その音楽が終わらないうちにキャンドルを灯したいと思い急いで準備する。

昨日の孤児院とは違う、積極的な子供達に囲まれる。
簡単にメッセージを伝えると、アキ・ラさんがそれをクメール語で子供達に話してくれた。

最後にロウソクを子供達にプレゼントして今回の旅の目的が終了した。

迎えのバイクタクシーは遅れたが、無事「チュラン」に戻り、プレゼント用のキャンドルを受け取りに来てくれたひろ子さんとしばらく玄関で話す。

別れた後、最後のご飯をFCCで取る。

その後BARにいったら、ビートルズとボブ・ディランが流れていて、旅の終わりを実感するのと共にいくつかの忘れていた感覚が聞き慣れた曲を聴いた事によってよみがえる。

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2005.1.14

7:30 タイ行きのバスに乗る。
だいたい1時間、乗ったまま待たされる。

出発するとすぐに悪路になり、バスの中も赤土の匂いがたちこめた。2時間程走ったところで止まったので休憩かと思いきや、バスが故障したようで、そこでまた1時間くらい足止めをくらう。

ようやく、代わりの新しいバスが来たので乗り込む。さっきのバスより気持ち座り心地が良くなった。がしかし道はさらに悪くなり、3回程橋が壊れていて回り道もした。さらに左前輪がパンクしたらしくしばらく止まる。その後は順調に走り出した。

本当に全く坂がなく延々と続く平地で、山も無く水も少ない。

7:30に出て、15:30にタイ国境に到着。
ピアスのせいかいろんな人の視線を感じる。
無事、出入国も終わり、タイへ。

街へ行くバスのチケットはなんと黒いガムテープ。
トラックに乗せられ、しばらく行った所でバスに乗りかえる。タイではスマトラ沖地震の被害がそこかしこにあった。 とくに探し人のビラが多く見られた

今現在では自分に出来る事は少なかったので改めてもう一度訪れようと決めた。 タイから台湾へ飛びまた同じ宿にお世話になって台湾から東京に帰る。

飛行機のチケットの関係でカンボジアへの旅は結果長い道のりとなったが、今回の旅を振り返る時間が持てた。

戦争が起きた後その悲しみは形となって現れる。
自分と同じ人間として新たに生まれてくるその孤児達が悲しみを憎しみに変える事無く、より素晴らしい人達と育っていける様に、自分に出来る事をしていきたいと思った。

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旅を終えて

この旅を実現させてくれ完璧な案内役をしてくれた小川紀子さんと、旅の記録をしてくれた佐野大介氏に改めて感謝したい。

JUNE

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