CandleOdyssey 2006 CHINA -再び中国へ-
8/13再び中国へ
朝5時起きで成田へむかう
ロンドンでのテロ計画事件と
帰省ラッシュで成田が混雑すると思ったので
早めに到着するようにした
高速の渋滞も無く
同行してくれる柳沢さんとも合流でき全日空で北京へ
柳沢さんは何年か前にテレビの取材にきてそれで知り合い
去年中国行きも相談した所
程さんを紹介してくれたいわば中国行きを
実現させてくれた大切な友人で
今回は旅を映像でおさえたいと言って同行してくれることとなった
到着時間は一時間ほど遅れたが中国でお世話になる程さんとも無事に再会
チチハル行きの国内線を長い時間待つがこれもまた遅れ
結局チチハルに到着したのは深夜一時となった
近い国中国でも朝五時に出て夜中一時に着くとは
とても遠い国のように思えた
程さんのアシスタント毛さんと、昨年と同じタクシーのお父さんが
出迎えてくれたことが、なんだか田舎に帰ってきた感じで
嬉しくて疲れも忘れた
8/14 朝から平和公園へ
去年は出来たばかりで大規模な式典があったが
今年はそれほど大きなイベントは行われていないようだ
程さんが今夜ここで灯す許可を取ってくれていたようだが
自分が日本人ということでいろいろ難しくなったと知らされた
その後日本軍跡地や軍が最後に大量に兵器を棄てていったといわれる橋や
実際化学兵器が発見された駐車場にも行った
その駐車場には数台の車が停まっていて何とも重苦しくカビの匂いがし
入り口は頑丈な重い扉がついていた
地下駐車場をでるとそれまで晴れていた空に一気に雲がかかり夕立となった
ホテルに戻り去年お世話になった教会にいく
ミサに参加し
再会した神父から明日の夜ロウソクを灯す許可を得た
8/15
7時に起きて実際爆弾が掘り出された家を訪ねる
頭站村というその村は去年訪れた戦争資料館の先にあった
被害に遭われた家族と会う事ができて話も聞けた
2004年5月
主人は娘の為に家を建て増すために
家の隣の空き地を調査のため掘ってみた
30センチくらい行った所で爆弾が現れ始めた
小さいものは30センチくらいで
大きいものは1メートルくらいあったという
中は液体でその液体は衣服や布団などを溶かした
手にもついたらしく
今でも右手中指は痛むらしい
日本や中国の専門家達がきて調査したところ
周辺から結局500~600個くらい出てきたという
調査の間30年暮らしていた家をその家族は離れなければならなかった
謝罪は出来る
言葉でもいくらでも言える
ただ未だに彼らの不安は取り除く事は出来ない
一応の撤去は終わってもまだ他の畑にもあるかもしれない
もしくはもう中身だけが流出して土を汚染しているかもしれない
植物や子供達にも影響があるかもしれない
様々な形で不安は残っている
日本人がしてきた人体実験や虐殺などを知った資料館での内容が
今被害に遭っている人を目の前にして
リアルなものとして感じた
その日持ってきていた一番大きなロウソクを
その家族のお父さんに渡す
改めて謝罪の気持ちを込めて
争いの火では無い平和の火の始まりとして
その日そこには多くの人が集まっていて
カメラなどもまわっていたが誰もみていない最後の別れ際に
お父さんは静かにありがとうといって握手してくれた
夕方チチハルの教会に行く
ミサの後ロウソクを灯す儀式が始まる
改めて挨拶をしてロウソクを灯し始める
2年目とあってみなが手慣れた感じで集り
そのまましばらく黙祷の時間があり
静寂の中祈る
その後神父の話があり賛美歌も歌われる
最後の挨拶が終わり片付け終わった頃には外はもう暗くなっていた
昨年とは比べられないくらい多くの人が集まっていた
教会を出るとそのまま平和公園に向かった
館長を始め多くの人が集まってくれて
平和公園でも灯した
これは祈るというよりも極めて政治的というか
やらされている感があったがそれでも
多くの人が良かれと思って用意してくれた事で
またこの繋がりが出来た事に感謝する意味でも
灯そうと思った
昨年はピンとこなかったこの場所で
共に杯を交わした中国人の兄弟達と
今年は一緒にロウソクを灯している
この事がむしろ一番今年嬉しかった事かもしれない
小泉首相がこの日靖国神社に行ったにもかかわらず
自分はここ中国でこの国の人達とともに終戦を祝った
8/16
朝改めて資料館に行く
何人かの人達と交流を持ってその後
新しく出来た記念碑のある広場に向かう
そこでは小中学生と交流を持つ
地元の小学生達とは違い
都会から来ている中学生の代表者の意見は強いもので
あの戦争は自分達中国が弱かったからだ
でもこれからの中国は違う
もっともっと強くなる
そんなことを言っていた
なんだかこれでいいんだろうかと複雑な気持ちになる
その後全てのスケジュールが終わったという事で昼食会となる
昨年の懐かしの顔も集まってくれて
やっぱり乾杯が始まる
匂いというものは恐ろしく
このお酒の匂いをかいだだけで
昨年の出来事がすべて思い出された
飲んでもいないのに吐きそうになってしまったが
今年も負けまいと頑張る
案の定ご飯を食べるというより
なにかにつけ乾杯で一気大会となる
今年は最後までいかずに敗北宣言
帰りのタクシーでは気絶状態でホテルに帰ってもダウンした
8/17
早朝のバスで空港へ
チチハルから北京、そして成田へと帰路につく
今回が2度目の中国であったが
程さんのおかげで
短期間ながらも無駄の無い行動がとれたと思う
今までのように偶然の出逢いや
導かれるように灯すようなことはなかったが
これが2度目というものなのかと思った
初めに逢った人達がまた快く迎えてくれて
共に何かを創りだす
アメリカでもなくアフガンでもカンボジアでもない
ここ中国でそういった形の始まりが出来た事が何より嬉しく
今一番日本人がしなければ行けない事ではないかと思った
実際出逢ってきた中国人達も
また毎日のメディアで日本の事を
良く思わなかったりするかもしれないが
それでもひとりの日本人のことは忘れないと思う
どの国にも良い人も悪い人もいる
でもその人達だって何かをきっかけに
良い人が悪い事を
悪い人が良い事をしたりする
自分の中にも嫌な部分は沢山あるし
面倒くさがったり、逃げ出したりしたくなる気持ちもある
どこかの国を悪く言ったり
誰かのせいにしたりするより
自分の中にあるそんな気持ちと戦っていきたいと思う
残り少ない人生を
気持ちよく
今を生きられるように
JUNE