声をあげること

連休も福島や宮城にむかった

これまで
出逢ってきた原発地域避難者のかたがた

カメラをまえにした時のもっとも正解な答え

”いつかはふるさとにかえりたい”

帰村がはじまった川内村

でもそこに本当に帰りたいのか?

除染をしているといっても
原発が止まったわけではないし
毎日の線量通知もきっと高い時は通知せず
測定している所だって除染している所

生活はひとつの場所にいる事が生活ではない
まるで牢屋のように身動きとらず
除染した所にだけいろというのか

原発に対しても言いたい事はたくさんある
でも
その原発を受け入れ
そして
今や家族のだれかは必ずエリートともいわれんばかりに原発で働く

もちろん
はじめは反対したが

長い年月がたつ今となっては
やはり

”いつかは村にかえりたい”

としかいえない

意味のない除染で何億円とかけるくらいならば
村民あたまわりでお金がほしい

そしたら
あらたな場所であたらしい生活をはじめたい

でもそんな風にお金欲しいなんていえない

なにより
未だに不安定でいつ爆発するかもわからない原発が近くにある故郷

そのこわれた家をなおして今住めるというのだろうか

おじいちゃんおばあちゃんが帰りたいという

その気持ちはわかるよね

でも
そうして帰っていくと役所の人たちも帰っていかないといけない

役所が帰っていくと

お国が安全と言っているんだからとまた帰る人が出る

声をあげること

”いつかはふるさとの村にかえりたい”

たくさんの想いをこめた

”いつかは村に帰りたい”

どうか

すべての原発がとまることを喜ぶより
なんとか再稼働をするために努力するより

福島の原発を
そこで働いていた人々を
そこで働く人々を
その地域で暮らしていた人々を救ってほしい

誰に頼むというわけではなく

すべての人に

電力会社の人に

原発反対派の人に

かみさまがいるのならばかみさまに