2020年 3月11日

 

 

 

2020年の3月11日が終わった

何にもなかったかに思える東京での日々に戻った

20年以上キャンドルを灯す仕事をしてきた

 

 

戦争があった場所で
テロが起きた場所で

 

災害が起きた場所で

 

灯すべき時に
灯すべき場所で

 

 

それらが正しい行為である場合は
吹いていた風も静まり
降っていた雨も止んでくれる

 

20年以上ずっとそうだった

 

 

昨日は
雨予報だったはずが快晴となったものの
災害レベルの強風だった

 

キャンドルナイトは普通であれば当然中止すべき強風

 

それでも誰もそんなことは言わなかった
コロナウイルスでは軒並み中止なのに

ウイルスも強風も目にすることはできないもの

 

 

大切な仲間たち中にも
子供だから
高齢者だからといって参加を断念してもらった

 

厳選されたスタッフたちで行うキャンドルナイト会場には
スタッフ以上の数のメディアの人で溢れていた

 

小柄な人だったら飛んでしまうくらいの強風の中で
必死に点灯するスタッフたち

 

それらに対して
なんとか撮影しようとする人たち

 

 

 

いくつかインタビューを受けた

 

「この日を迎えられてどうですか?」

 

「キャンドルを灯して見てどう思われますか?」

 

 

無事に灯せていないのに。。。。

 

 

 

毎年思うことだけど
自分たちのこの活動を
簡単に言葉にするのは難しい

そして3月11日に集まるインタビュアーたちは
それらを求めているわけではない

 

 

わかりやすいコメントを求める
彼らの期待に応えたいけど
でもそれ以上に9年間で出会ってきた人たちの想いや
支えてくれている人たちのことを大切にしたいと考えると
彼らが求める台本のようには語ることはできない

 

 

きっと全てのキャンドルが灯っていたら
最高な絵が撮れて
多くの人たちに届いただろう

 

でも
地球はそれを良しとしてくれなかった

 

「助け合いなさい」

 

「目に見えるものだけではないものに意識しなさい」

 

 

そして

「感謝しなさい」

 

そう言われたような気がした

 

 

 

2012年から
3月11日という一日もどう過ごすかのための364日がある

 

本当にすべきことは被災地の方々の救済ではないと思っている

 

大変なことはこれからも起きる
それらに対して
どうすべきなのかを学ぶこと

 

 

その感謝を伝えること

 

 

そして
それらの体験をしていないで
情報ばかりで頭がいっぱいで
そのくせ情報の更新をしないままの人たち

 

この人たちに伝えること

 

 

 

誰かを批判したり戦うことはたやすい

でも

そうすることよりも
その人とともに生きることを考えよう

 

 

 

 

364日のうちにたくさんの人と出会う

いつも
この人とどうやって3月11日が一緒に過ごせるかな?と考えている

 

 

この9年間でたくさん出会ってきたから
やっぱり昨日も
一緒に過ごした人がたくさんいた

 

入院しているはずなのに松葉杖をついてきた人

 

灯し終わった頃なのに顔出してくれた土建屋さん

 

南相馬に行く前によってくれたオオカミ

 

来るな!っていってても来てしまう人たち

 

協賛してくれた人たち

 

社長自ら来てくれたり

ポケットマネーで協賛してくれる人

 

大金なのに返金しないで活動に使ってください!というたくさんの企業の方々

 

毎月いろんな人に活動報告を送っているけど
いつもちゃんと返信してくれて
今回の出来事でも
「なんでも相談しろ!そしてスタッフの皆さんにもお疲れ様です。ありがとうねって伝えてくれ」
そういって励ましてくれるビックフェスのボス

 

 

毎年必ず参加してくれているのに
コロナの件で
「微熱があるから悔しいけど辞退しますね」といって参加辞退してくれたスタッフ

 

イベント中止の看板立てたり
夜中に風が強いからといって撤去したり
ひたすら裏方をまとめてくれる人

 

 

細かいマニュアルを作成し
あらゆる可能性を考えルールを作り真っ当な活動にしてくれる事務方

 

本来こんな風では上げれないという強風の中でも必死に凧をあげてくれる新潟メンバー

 

 

熱い気持ちで答えてくれる福島県の公務員の方々

 

 

本当は絶対一緒に居たかったはずなのにそれぞれの場所でキャンドルを灯してくれていた仲間たち

 

 

「それでも参加すべきだった。後悔しています。。」そんなメールをしてくれる人

 

急な弁当発注でも喜んで受けてくれた富岡町出身のお弁当屋さん

 

 

強風によって予定が変更になってもなんでも対応してくれるjヴィレッジのスタッフ

 

強風にも負けず必死にテントを建ててくれる人

中止になったのにイベントジャケットを作成して提供してくれるブランド

 

 

そっと前日に
「みんなで食べてくださいね」と差し入れしてくれる福島のお母さんたち

 

 

同じ時間帯にインスタライブしてくれるアーティストたち

 

 

 

9年前
原発事故後
一人で何度も福島を往復していた

 

昼とも夜ともなく
物資でいっぱいになった車で避難所をめぐり
空になったら東京に戻りまた積んで福島へ

 

サービスエリアやコンビニの駐車場で仮眠してずっと走り続けていた

その活動ができたのも
物資を授けてくれる人がいて
スタッフいてくれたからだ

 

 

現地で
たくさん悲しくもなったし
歯がゆい思いや悔しくもなっていたけど

その時々に
音楽に救われ励まされていた

 

その音楽を奏でるメンバーも今では一緒に311を過ごしている

 

 

この
9年間たくさん被災地といわれる場所に行き
たくさんの被災者と呼ばれる人たちに出会って来た

 

 

誰かを救うことができたか?と言えばできなかった

でも
一緒に生きていることができている

 

 

この9年が経った今
はっきり言えることができる

 

 

「助けたい人がいたら教えておくれ」

 

自分にはできないかもしれないけど
いろんな仲間がいるからきっと大丈夫

一緒に頑張ろう
そして一緒に生きていこう

 

 

 

3月11日の終わりにバラバラに出発した仲間達が
連絡を取り合っていなかったのに
同じサービスエリアで
みんな合流した

 

疲れ切っていても
みんな笑顔で大きな仕事をやり終えた達成感を楽しんでいるように思えた

 

日付はもう3月12日になっていたけど
一人で行き来していた時を思い出し

 

この瞬間に感謝した

 

 

3月12日が一年の始まり
来年の3月11日がより良いものになるように

 

 

 

ありがとうございました

 

 

 

 

CANDLE JUNE