2020年 4月11日 コロナウイルス

 

いつも災害がどこかで起きたら
自分に何ができるかを考える

 

遠くで起きた時などは目をつぶり
今も通い続ける被災地での活動に専念する時もある

 

一緒に活動できる仲間がいるときは
頼んでみたりもする

とりあえず現地行って見たら
絶対何かしたくなってしまうから行かないようにもする

これまでの活動で成功したと思えるものはない
それら全てに反省や悔しい想いばかりが残る

だから続けているのかもしれない

 

 

支援活動は「平等」であるべき

多くの人がそう思う
支援をしたいという人たちも、寄付をしてくださる人たちも「平等」を求める

大変なことが起きている被災地にそもそもこの「平等」は難しい

 

 

でも
この世界で
災害が起きていないときにでも
果たして「平等」ってあるのだろうか

「平等」に支援することができないから

「また来ます!」

「あっちばっかりずるい」って言ってもらえたら

「また来ます!」って続ける

その繰り返し

その繰り返しの中に自分の存在価値を見出そうとあがいている

 

 

こんな世界が正解なんだろうか?
みんなおかしなことばかり言う
自分優先かと思いきや、途端にいい人ぶって平等を叫ぶ

 

災害が起きた場所ではなんとなく生きている人は存在せず
みんなそれぞれに精一杯生きている
物資を何度ももらう人もいたりするけど
リアリティがそこにはある

 

だからいくらかはマシな気がしているのか
そこに自分の存在価値を見出そうとする

 

 

 

ただ
今の自分はこのコロナウイルス被害に対して何も支援することができない

 

コロナにかかっていないと思っていても、かかっているかもしれないし
東京という緊急事態宣言が出た
いわゆる災害が起きている世界に生きている

いつも災害が起きたときは政府やメディアなんかを否定するよりも
自分のできることをすると決めている

 

今の自分は何もできない

これまでの自分を振り返る時間をもらえている

 

たくさんの方々が亡くなり
たくさんの不安や悲しみが生まれている中
不謹慎だけど

確実に今世界中の人たちが
なんとなく生きる世界ではなく

改めて生きることを真剣に考える世界にいるのではないか

 

今の世界にもやはり「平等」はないけれど
お互いが思いやり
それぞれの生きるを真剣に考えている今は
「世界平和」と言ってもいいのではないだろうか

 

こんな状況下でも戦争しているところはあるだろうか
あったらやはり悲しいし
ニュースにもならないってことはとても問題だ

もちろん戦争的な輸出入のやり取りや緊張状態の国があるかもしれないけれど
多くの経済活動がストップされて
生きることに集中している今
二酸化炭素排出が激減したり、オゾン層が復活なんていうことも聞くくらい
地球は生き生きとしている

 

改めて人間がどう生きるべきか
を提示してくれているように思う

 

 

ステイホーム!と叫ばれても
家がない人も多くいるだろう

でも
この地球というみんなの家に生きているということを
コロナウイルスが教えてくれている

被災地では
「頑張って」という言葉はあまり好かれない

 

「ひたすら頑張ってるよ!まだ頑張れっていうの」と

だから少しでも多くの
「ありがとう」を言えるように心がけている

 

何もできない自分だけどありがとうを言いたい

 

 

世界中で頑張ってくれている医療関係の方々に
「ありがとう」

日々突っ込まれながらも頑張っている政府や行政、関係省庁のみんなに
「ありがとう」

マスクや消毒、食料関係を提供し続けてくれている皆さんに
「ありがとう」

自分自身も「かもしれない」として接触をしない人たちに
「ありがとう」

こんな状況でも必要と思われる業種の方々。不安な中でも続けてくれていて
「ありがとう」

学校が休みでもそれぞれに楽しく過ごしてくれている子供達に
「ありがとう」

 

 

そして
コロナウイルス前までに発生した災害地の皆さん

10年目を迎えた東北の皆さん
5年目を迎える熊本の皆さん
台風被害の長野の皆さん

現地活動できなくてごめんなさい

でも
これまでいつも笑顔で迎えてくれて本当にありがとうございます

また逢える日を楽しみにしています