7月の月命日

7月の月命日
大きな台風が東京にやってきました
その後を追うように福島に向かい
浪江町のみなさんが暮らす仮設住宅に到着しました
大道芸やビンゴゲーム、マッサージやネイルサービス
バーベキューそしてキャンドルナイトと音楽ライブ
浪江町のみなさんは震災直後、放射能が多く飛散していた場所に避難して
その後も避難先を転々としてきましたが
ここの仮設にみなさん落ち着きました
長い付き合いになりました
男の子が乗るストライダーには昔書いた自分のサインが
かすれながらもまだ残っています
タイヤはつるつるになり、当時小さかった男の子も随分大きくなりました
いつも司会進行をしてくれる子も4年生
とってもチャーミングな女の子も4年生
子供たちはみんな成長しています
この日は台風だったので学校が休みになってくれたおかげで
たくさんの子供たちが集ってくれました
お父さんお母さん達もそれぞれに食べ物を持ち寄り
自治会のみなさんは生ビールサーバーを用意してくれて
お昼からずうっとみんなで楽しい一日を過ごしました
6月の月命日の幼稚園のみんなも来てくれたり
お米作りメンバーも郡山から来てくれて
楽しい笑い声が一杯になっていました
二年前に提供したストライダーをずっと大事に使ってくれています
子供たちもお父さんもお母さんも
おじいちゃんもおばあちゃんもみんな笑顔で迎えてくれます
そしてすべて無事に終わってみんなで片付けをして帰る時に
みんなが
「いってらっしゃーい!」
って大きな声でそしておもいっきり笑顔で手を振ってくれました
以前から
ただいま!おかえり!いってらっしゃーい!の関係になりたいです
と言って来ていました
東京や塩竈から来てくれた仲間たちも
仮設のみんなも
台風が去ってくれてこんな素敵な一日ができた事を喜んでいました
大きな月が輝いている空にみんなの「いってらっしゃーい!」
はとても嬉しく
とても切なくもなりました
三年が経ってもなお
この人達は仮設で暮らしています
「震災」
からの避難ではない仮設住宅暮らし
「原発事故災害」
「原災」からの避難です
日本中の人が認識を変えるべきことです
「震災」でもなく
「原発事故」でもありません
「原災」です
地震や津波ではなく
放射能被害が原因で
暮らしていたところに帰れない
もしくはいつか帰れるかもしれない
帰ったところで生活ができない
気がつけば避難先からなぜ帰らない?と責められる
生産活動ができない
心身に放射能による影響が表れる‥‥
あげたらかなりの量が上げられますが
「原災」という言葉を使い
そしてまとめるべきことです
なぜ自立を!と促すのでしょうか?
「震災」ではないのに
現在
国は他国の支援に何百億円出すと言っています
集団的自衛権がとかいろいろと大変そうですが
「原災」は
福島県民同士の軋轢を生み
そしていずれ差別問題に発展して行きます
6月の月命日に出逢った子供たちに約束しました
そんな未来が来ないようにと
7/11 月命日の夜
仮設のお父さん達といろいろと話しました
イベントの終わりに一人のお父さんに
手を強く握られ
「この現状を多くの人に伝えて下さい!!」
今月も約束しました
心あるみなさん
「震災」ではありません
「原災」です
震災と同じ復興プロセスは通用しません
知識あるみなさんおねがいします
「原災」の復興プロセスを作ってもらえませんか
かつて国会議事堂前に集って原発反対運動をしていた皆さん
おねがいです
反対運動をする前に
意見をまとめてください
あれやこれやに反対ではなく
どうしたらいいのかを一つにまとめてください
それに対して国民のイエスをもらえるように
自分の存在の小ささ
出来る事の小ささを
この三年間で思い知りました
でもやめません
同じ日本人同士で戦うことより
すこしでも多く福島の人達と
子供たちと笑顔の一日を作り続けます
その何日かがあったから4年目の7/11は「お帰りなさい!」
と迎えてもらい
そして
「いってらっしゃーい!」と送り出されました
また”帰ってくる”約束と
”多くの人に伝える”約束を果たすために
震災から3年を迎えるまでは
毎年3/11は福島のみなさんに謝っていました
もっとなんとか出来ると思ったのに出来ませんでしたと
自分に出来ない事は出来る人に頼んでもなんとかしますと約束してきました
またあらためて多くのみなさんにお願いします
「震災」ではなく「原災」です
それが起きている福島に目や耳やそして手を