ブログのはじまり〜始まりの写真

ブログのはじまり

こう書いてある。
「初めに言葉ありき!」
ここでわしはもうつかえる!
誰かわしを助けて先へ進ませてくれないか。
わしは言葉というものをそう高く値ぶみすることはできない。
わしは霊の光に正しく照らされているのなら、別に訳さなくてはならない。
こう書いてある。
「初めに意味ありき!」
ペンが先走りせぬように
第一行をよく考えよ!
一切を作りだすものは意味だろうか。
こう書いてあるべきだ。「初めに力ありき!」
しかしこう書きつけているうちに、もう
これでは済まされないと警告するものがある。
霊の助けだ!
不意に思いついて
安んじてこう書く。
「初めにおこないありき!」

ブログの
はじまり
人の言葉


ブログの始まりからブログとはいえないと言われ

一にして一切
出来上がったものが硬化しないように
作りかえるために
永遠の生きた活動が働いている

それは活動し、創造的に行動し
先ず形をなし、ついで形を変える
瞬間とどまることはあってもそれは外見だけである
永遠なものは一切のもののうちに活動し続ける
万物は存在に執着するならば
崩壊して無に帰するほかはないのだから
そしてまた人の言葉


ブログのようにタイムリーに

私がその中から生まれてきた闇よ
私はお前を焔よりも愛する
焔は世界を限って
或る範囲のためにだけ
かがやいているが
その外では何ものも焔を知ってはいないのだ

けれども闇はすべてを抱いている
いろいろなものの姿や 焔や 動物や 私を
闇は人々やもろもろの力を
自分の中に引き入れている=

もしかしたら  一つの大きな力が
私の隣で動いているのかもしれないのだ

私は夜々を信じている

詩人の言葉


ブログのように

光はまだしばらくの間
あなたがたのうちにある
闇に追いつかれないように

光のあるうちに歩きなさい
闇の中を歩く人は、自分がどこへ行くのかわかっていない
光のあるあいだに
光の子となるために光を信じなさい
十字架の人のことば


ブログという言葉への執着
どこにいる人間も
目的が手段から切り離されていないことを認識するまでは
世界に平和が訪れることはない

なぜなら
手段は形成途中の理念
過程における目的を表しているからである
悪い手段を用いたのでは
結局、良い目的に達することはできない

なぜなら
手段は種子を表し
目的は木を表しているからである
十字架の人の声を聞いた
ある牧師の言葉


相変わらずなブログ

やさしい光よ
おまえの戯れに
喜んで身を任せている私を見よ

他の人達は目的を持っている

私は生きているだけでもう満足だ

いつか私の心にふれたものはすべて

私がいつも生き生きと感じていた

無限なもの、唯一なものの比喩にすぎない、と私には思われる

そういう象形文字を読むことは
いつも私に生き甲斐を与えるだろう

永遠なもの、本質は

私自身の中に住んでいるのを私は知っているから

また

詩人の言葉


ブログのように—7つめの最後の言葉

人の霊は
水にも似たるかな
空より来たり空へ登る
再びくだっては

大地にもどり
永久に変わりてやまず

詩人の言葉

完全なる
循環の
ごく一部となる


始まりの写真

CIMG0090.jpg