歩き続ける
大きな地震があり
そして大きな津波がやってきた
それはまたおおきな原発事故を巻き起こし
震災、津波、原発事故とたくさんの場所で悲しみが生まれた
これまでも原発には反対だと活動してきたがこの震災後福島に行って反省した
放射能の恐ろしさを現地の人に伝えたかったが伝えられなかった
「10年先にがんになるんだろ、でも今俺たち食べるものも飲むものもねえし、なんにもねえぞ」といわれ、
一日一回の食事の配給待ちの長蛇の列に並ぶ人にマスクをつけましょうとは言えなかった。
ただかっこつけの反対運動でしかなかった
ほとんどの団体も自衛隊もきていなかった福島の人々を目の前にして
ただひたすら,必要なものを聞き、運び続けた
自分の無力なこと、その悔しさが疲れや眠さを忘れさせてくれた
原発反対派の頭のいい人たちにはお願いをしたい
どうかそれぞれが反対運動するのではなく、一刻も早く毎日会議を開き
反対派の統一見解を出し
今後どうするべきかを日本中に伝えてほしい
そうでなかったら
今でも福島に残り生活している人々を救ってほしい
原発推進派の頭のいい方々にはお願いをしたい
日本中にある原発、またそれに関わる施設を、
一刻も早く正常運転したいのであれば、
さらに他国に原発ビジネスをひろげたいのであれば
どうか福島の人々を救ってほしい
誰一人として悲しんでいる人がいなくなるまで徹底的に救ってほしい
日本中の人にお願いしたい
今はまだ悲しんでいる時ではない
諦める時ではない
福島の大地や水や海は原発事故によって生まれた新たな生命で汚染されてしまった
福島の食べ物を食べて下さいとは言わない
でもひとつひとつの食べ物をつくっていた人は宝物です
だから日本中のすべての人が福島の方々を自分の土地に呼んでほしい
リンゴ農家さんはリンゴ農家さんを、漁師の人は漁師を
悲しみを知り、それでも生きると決めて、歩き始める人は宝物です
地震が教えてくれた
人が人と、そしてこの大地とどう生きるべきなのかを
新潟中越地震の起きた場所にたくさん優しい人がいることを自分は知っている
誰のせいにもせず、助け合い、喜び合う
今たくさんの涙が被災地では流れている
その涙ひとつひとつが自分を強くしてくれる
3/11からここまで
訪れた場所に行くときに自分は被災地にいく
被災者に会いにいくとは言わない
地震によって繋がれた新しい家族に逢いにいくという
これまでの震災後の仮設とはちがい,原発地域の方々が暮らす仮設では
もう帰る場所がないことから,深い闇が広がっている
それでも
自分たちが来るのを楽しみにしてくれてご飯を作って待っててくれる仮設住宅で暮らすお母さんがいる
新潟で出逢った家族達と
そしてまたこの大地震で出逢った家族達が自分の宝物である
最後まで残るであろう原発問題
この地域から避難されている家族達とともに
いつの日か“福島”が世界から感謝される日まで歩み続けたい