南相馬

南相馬は線量も低く、多くの人が戻ってきていました。
途中の飯館村はまだ高かったです。
南相馬でも人が集まる道の駅などの下水溝近くなどいくつかの場所は以上に高い数値でした。

他の被災地では見なくなった風景が今、南相馬にはありました

南相馬の人気のない沿岸部にあった安全運転の看板


南相馬ではたくさんの家族が暮らしています、外の人はいろいろな意見がありますが、
現実はたくさんの家族が暮らしています。
だれも何も頼れないから自分たちでなんとかしようと、今の南相馬でがんばっています。
反対派でも推進派でもなく、今をなんとかしようと、がんばって生きています。
そこで暮らす大人たちが高い線量の場所を見つけては除染したり、室内で子供たちを遊ばせたり、
今出来る事をしています。
今はただそれを伝える事しかできません