教会

宗教が戦争を起こす

そんなことを知った時
なんだかとても裏切られた気がした

幼いときから日曜日は教会で過ごし
毎日の生活の中にも
キリストの言葉がちりばめられていた

こどもの自分には
モーゼが海を二つに割り道をつくることや
キリストが病の人を立ち上がらせる、なんていうチカラに
あこがれを持っていたのかもしれない

でも
それらが
”宗教”というものであるという事を知り
また
他にもそんな”宗教” 教えがあることも知り
そして争ったりしてることを聞いたときから
毎週の日曜日がきらいになった

この大人達は
なぜ
毎週集まるのだろう

本当にすばらしい教えであれば、毎日そのとおりに過ごせばいいし
懺悔なんて必要もない
また来週から教えを守りましょう!なんて約束もいらないだろう
他者をなぜ受け入れられないのだろう

教会の仲間達のあいだですら
あの人はどうだとかこうだとかうまくいかないがある

とても嫌いな日曜日

決まったあいさつ
決まった聖歌
嘘っぽい時間

全部が 嫌いになった

ただ
キャンドルをそれぞれが持ち
火を灯しておこなうミサがあった

このときだけは特別だった

一人家で灯すキャンドルともちがい
多くの人が集まり
その一人一人がキャンドルを灯しておこなうミサだけは
特別だった

宗教が戦争を起こす

大人になる少しまえに
その他の宗教を学んだ

たくさんの宗教の始まりの人の声を聞いた

また宗教というものではないかもしれない
ネイティブアメリカンや昔からの生活習慣を伝える人々の声を聞いた

そのときから宗教というものではなく
ここ”日本”という大地と
そこに流れた時間と
今ここに生まれた自分の意味を考えた

今でも考えている

むしろ今こそ考えている

”平和の火”を灯したときから自分の旅が始まった

長崎の浦上天主堂で出逢ったキリスト教の信者のみなさんは
NYのテロに涙を流し
自分に火を託し
アメリカに送ってくれた

アメリカの多くの人はアフガニスタンへのアタックは間違いだと託した

それを伝えるためにアフガニスタンに行った

広島、長崎、沖縄の人から
たくさんの悲しみと喜びと勇気をもらった

その時から広島,長崎に行かなくなった
いつか世界の人が8月にみんなで広島、長崎の亡くなった人たちに”あなたたちのおかげで世界は学びました
ありがとう”といえる日がくるまで

やられたことばかりをいわずに
だからひとり
終戦記念日に中国でろうそくを灯しに行った

これまで
どこに行っても
様々な宗教があった

どこの宗教も自分を快く受け入れ
そこにいる人と
ともに”祈る”ことをした

自分が出逢ってきたすべての人はみな本当に良き人たちだった

好きな人の中にマザーテレサという人がいる

道で今にも死にそうな人が倒れている時

”ここにキリストがいたらどうしただろうか”

そんな風に彼女は考え行動したという
そして彼女はその時キリストそのものになっていた

キリストは復活すると言った
きっと
それは彼のような人がまた現れ、同じような奇跡を起こすということではなく
”教え”を実践する事そのものこそが復活であり
誰がとかそういうことではないんだ

キリストの復活
すべての教えは日々の”生きる”の中に生まれる事

集う事、広める事より
競う事、他者を受け入れない事より
日々自分自身がどう”生きる”かということなのだと思う

マザーテレサの日々の”生きる”が
多くの人の”生きる”になったことはまちがいない

そんな
マザーテレサが亡くなっても
今でもたくさんの”マザーテレサ”が世界中で生きていると思う

自分にはこれまでたくさんのことを教えてくれた人々がいる
それらの人のことが今でも好きだといえるような日々を送る事がきっと
自分らしい生き方となるのだと

かつて
自分と同じ教会に通っていた女性がいた

彼女は
何年か前から幾重にも重なる病とともに生き
いつ亡くなってもおかしくない状態となっていたらしい

知り合いが教えてくれた

彼女は以前から自分のキャンドルや活動を楽しみにしているらしいと
また病の事も

随分と小さな頃の事だったし
日曜日が嫌いだったからその部分の多くの記憶を消してしまっていたから
彼女を思い出す事はできなかったが
何か出来る事をと考え
家族、友人のみなさんとも話し合い
”キャンドルがあの教会で灯っているところを見せたい”となった

そして
久しぶりに故郷に帰った

体調がよければ病院から一時外出できるということで
家族や友人達が手伝ってくれてこの秘密のプレゼントを用意した
その日は
残念ながら体調が優れず
病院から出ては来れなかったから逢う事はできなかった

ただ
本人がいなかったからこそ
そこに集まったみんなで彼女のために”祈る”ことにした

彼女は自分とも歳が近く子供の頃
同じ教会の日曜学校にも通っていた
マザーテレサが大好きで修道院などにも行っていたようだ
きっと
とても信心深いキリスト教信者であったと思う

その場を見る事や対面する事は出来なかったが
後に写真などでお母さんがこの出来事を伝えてくれたようで
本人はとても喜んでくれたらしい

そんなお母さんから
昨年末に手紙が届いた

マザーテレサのカードとともに
彼女が安らかに眠りについたことを教えてくれた

医者がいう時間よりも長く長く生きたそうだが

最後はとても安らかに眠りについたそうだ

何も
なんにも悲しみなんかはない

おかあさんのただただ感謝をのべる言葉と
彼女が痛みやつらさを信仰のちからで打ち消し
しっかりと生きるべき時間を全うしたということが感じられた

今でも
宗教は嫌いだ

ただ
この手紙からあらためて”祈る”ことを教わった

読んだあと
教会で灯した時の写真を見直してみた

小さな頃通っていた教会
あの頃から随分と時が経ったが
今自分の生きる道である灯す事を確かにここでしていた

教会でろうそくを灯した時何人かがそこににいた

きっと彼女も写真で見てくれただろう

神に召された彼女はときおり,ろうそくの光を天から見てくれているだろうか
彼女が良しとしてくれた自分の火は今もちゃんと灯しているだろうか

ひとつひとつ約束しておこう

これまで出逢ってきたすべての人に

今自分がどこで
ろうそくを灯しているのか

今自分がどこで
誰と”祈る”をしているのか

言葉にする事でも
おこなうことでもなく

すべては光の中にある
光とともにあるために

灯すべきときに
灯すべき場所で

そのときすべての流れは動き出し
きっとすべてが美しいと感じる事が出来るのだと思う