桜が咲きはじめて

3/24福島30キロ圏内久ノ浜にて
保育園や学校を卒業した子供たちとお母さんたちおめでとうの会を開いてきました。

毎年おこなっていたはずの花見を今年はおこなわなかった

単に時間がなかったということだと自分には言い聞かせるが
なぜなのか
できなかった

4月の11日
福島県三春というところにある仮設住宅を訪れてろうそくをともした

この三春ダムにはたくさんの桜の木があり
有名な”滝桜”もある
そんなに桜の有名な場所に富岡の人たちは避難してきている

何ヶ月か前に
そこの自治会長は故郷富岡の桜を歌にしたいと詩を書いて渡してくれた

何度もいっしょに被災地にはいってくれている
青谷明日香さんにその歌の制作をおねがいしていたが
その歌ができたので4月11日に届けに行った

今年は見れないであろう
富岡の桜を
今自分たちが暮らしている仮設がある三春ダムのたくさんの桜と
最も有名な滝桜をみにくる
たくさんの観光客をまえにみんなで歌おうと盛り上がっている

震災以後
福島に行き続け
避難されている方々と接してきた

そこには
これまでに体験した事がない
切なさがある

それは
時間がたてばたつほどやりきれない切なさとなりそこにある

これまで
自分は
悲しい事はひとつもない

そう言い聞かせ
ただひたすらできることを

すべての事は過去となっている
だから悲しみにくれている暇はなく
その悲しみを学び
喜びにかえるためにできる事をすべてやる

それだけに集中して走りまわってきた

でも
ここ福島は

やりきれない
切なさがかならず迎えてくれる

震災直後
福島にはいったときは
”ごめんなさい”と謝っていた
原発のこと知ってたのに
反対運動してたのにこんなことになって
でも
なんとかするからと自分にも喝をいれるためにも謝っていた

謝り続けて一年が過ぎ
今は
こんなにも忘れ去られたことになってしまってごめんなさいと
謝らなければいけない事が増えてしまった

自分にできる事は少ない

子供たちとそのお母さんたちを前にしたときに

自分の出来る事はすくない

明日香ちゃんの歌を聞いてたくさんの涙を流しているおかあさんたちと
子供たちをただみているおとうさんたちをまえにできることはなにもなかった

すこしまえに
子供たちの卒園パーティをしたいからと頼まれて福島の久之浜にいった
子供たちの数は少なかったが
それでも保育園を卒業したり小学校を卒業して
新しい始まりを迎えている

いつも一緒にいってくれる道化師のみんなが
子供たちを楽しませてくれる

大人たちも喜んでくれる

ピエロは政治の話なんかしないし
お金の話なんかもしない

ただ
人々を喜ばせてくれる

自分に出来る事は少ない

三春のダムに桜が咲く頃

そこで暮らしている富岡の町の人たちは
いつ帰れるともわからない故郷の桜を歌うだろう

自分が出来る事はそこにまたいくことだけ

これまでいった福島のいくつかの場所に
これからもいくことだけだ