宮城県山元町

宮城県山元町の仮設住宅のお母さんのところに久しぶりにお邪魔してきました
りんごといちごの町山元町のリンゴはたくさんの実をつけていました
三年半経ち
仮設住宅には訪問団体がほとんど来なくなり
津波地域にもどることも出来ず町を離れる決断をする人達が多いらしく
友達がいなくなってしまったと嘆いていました
また
「仮設に暮らしながらも沿岸部にもどった高齢者のみなさんのお茶会を開いたりして元気づけているけど、なんだかみんなが当たり前に思っているみたいでついつい私も仮設暮らしなんだけどねえと言いたくなるんだよ
じっとしているといろいろ考えすぎちゃって具合が悪くなっちゃうからいろいろしなくっちゃって思うんだけどね」
三年半経ち
震災にたいしての行政の在り方
支援の在り方が問われる難しい局面を迎えています
鬱病になってしまう方なども多く
これらすべてを病院へとしてしまうと
病気と認定されてしまい
ますます心身ともに弱くなっていってしまいます
震災当時訪れていたみなさんがまた
「げんきにしていますか!!」
と訪ねていくことがきっと一番の支援なのではないかと感じました
病院で今の気持ちを吐露するのではなく
支援にきていた人々に話をするほうが
きっと
あのときあれだけがんばれたんだからもう一回がんばろう!!となれるのだと思います。
震災当時きずなきずな!!トモダチ!と言っていたみなさん
そろそろ”絆”をお互いが感じるという支援をおこなう時なのだと思います