2014今年最後の月命日

 

2014今年最後の月命日

多くの幼稚園生を前に
謝りました

 

震災から原発事故がおき

福島に通う日々の中、子供たちを前にした時は謝ることから始めました

 

震災前まで

自分なりの原発反対運動をしていましたが
実際、事故が起きて福島に物資を運び始めた頃に反省をしました

 

かっこつけた原発反対運動だった

もっと本気でやってればよかったと

 

反省した

 

事故から一年経った時も謝りました

 

原発反対派は

「福島を見ろ!だから他の原発を止めろ」と国会前に集っている

 

自分からしたら

原発反対派が原発の危険性を一番知っていたはず

事故が起きてしまった福島を

一番救わなければいけないのは原発反対派なのでは

 

 

福島の人は言う

「他の原発止めたいのはわかるけど
今、ここ福島が大変なんですけど」

 

「反対派は”福島は危険だ!住める所じゃない!”っていうけど
どうすればいいの?」

 

 

なんとかしたいって、がんばったつもりだけど出来なかったことばかりだったから謝った

 

2年目も謝った

 

福島県民同士の衝突を見たり聞いたりし始めた

 

補償をもらえる人たち

なにももらえないけど風評被害はしっかりと受けた人達

 

あの時に比べたら

たしかに数値は低いからと気にしないようになる人

 

未だに気にして県外から食料を取り寄せる人

 

なにも悪いことしていない福島の人たち同士で衝突する

 

世間では

震災ひとくくりで

「避難者もそろそろ自立を!」と言われ始める

 

震災ではなく原災のはずなのに

 

3年目

 

やはり謝った

 

でもそれ以上の「ありがとう」を言った

 

福島で毎年むかえる3/11に

気がつけば

以前からの友人の数よりも

多くの

福島の仲間たちが集り、ともに福島のための火を灯していた

 

 

多くの人は

「ボランティア活動は、まず自分の家族があってのはなし

人助けよりまず自分の家族を大切にしなよ」

 

と言う

 

飛んでくる空気は?

 

飲み物は?食べ物は?

 

安全でないものが溢れたとき

 

どうやって家族を守るというのだろう

 

 

多くの人は言う

 

「まさかそこまで酷いことなんてないでしょう」

 

みんな

自分が当事者になるとは思ってはいない

 

なにかしらの被害者、被災者、当事者になってはじめて

社会の不条理を味わうことになる

 

 

その時に本当に”家族”が助けてくれるのだろうか?

 

家族を守れるのだろうか?

 

家族とは

血のつながりのみのことなのだろうか?

 

 

この4年近く

東北と東京を何度も往復した

泊まることはほとんどなく

家族のもとから出発し

そして家族のもとに帰った

 

きっと子供たちはもっともっと父親と一緒にいたいはず

 

でもこれからも

 

この旅は続ける

 

それが家族のためだと思うから

 

 

当たり前の毎日ではない我が家は

 

ひとつひとつの出来事がとても大切なことになる

 

たまにしか一緒に遊べない時間も

 

一緒にごはんを食べることも

 

ひとつひとつがとても大切なこと

 

 

この4年近く

 

たくさんの東北の家族と出会って来た

 

それぞれが特別な毎日を過ごし

 

一日、一日を大切に必死に生きている

 

 

津波で亡くした家族のためにも

 

必死に生きている人達

 

 

あまりにも酷い世界を見すぎたから

 

生き方を変えた人もたくさんいた

 

 

避難中に家族を亡くした人も

 

福島で

ちいさな子供がいる家族とたくさん出会って来た

 

大変だった避難生活や現状の苦しみを聞いて来たが

 

みんなが気にするのは子供たちの将来

 

「結婚できるのかな」

 

「子供産めるのかな」

 

「いじめられないかな」

 

そんな話を涙とともに受け止めた

 

これは

自分の子供達と同じ世代のはなしだ

 

 

いずれ

トモダチになったり

つき合ったり結婚するかもしれない同じ世代のこどもたち

 

 

自分の子供が大きくなったときに

 

311のことや福島のこと

原災のことを聞かれた時になんて答えられるのだろう

 

極端かもしれないが

 

戦争を体験した祖父達に

 

「あの時おじいちゃんはなにをしていたの?」と

 

「戦争反対!!」ってしてた?

 

それとも
家族を守るために戦ってたの?

 

いったいなんて答えが正解なのだろうか

 

そして自分は原災のことを
なんて答えられるんだろうか

 

 

そう思うと

自分は

家族のために

これからも旅を続ける

 

人のせいにしたくはないし

いつか子供たちが
今の背丈よりももっと高い所から社会を見た時に

ちゃんと311のことを話せるように

 

そして何より

 

家族と言える仲間たちが毎月一緒に活動してくれ

 

家族と言える福島の仲間たちが毎月集ってくれるから

 

これからもこの旅は続ける