SONG OF THE EARTH

 

今度の日曜日は新潟中越地震が起きた日です

震央地川口でソングオブジアース(SOTE)を開催します

震災から12年

SOTEを開催して9年という月日が経ちます

震災から3年は中学校にあった仮設住宅を訪問し続けました

三年で仮設がなくなるということで4年目から町の公園に移り
フェスティバル形式にしたものがSOTEです

震災から12年

毎年、復興というものは果たされたのだろうか?と考えます

本来このSOTEは昔の日本のお祭りのように

悲しみをよろこびや楽しみのなかに内包して

伝承していけるように

地元のお祭りとして発展していけるようにという夢を描いていましたが
実際はばたばたのままです

いつも
自分の独りよがりで
いわゆる東京もんの東京的発想を田舎に押し付けているんではないか
そう思っていました

 

「それぞれに仕事があるし
家族があるし、、、気持ちはあるんだけどね」

先日
熊本南阿蘇で熊本地震から半年という日を
東海大学の学生たちと
学生たちが暮していた地域の大家さんなどが再会するイベントで
キャンドルを灯してきました

廃校になった学校のグラウンドでおこなわれたこのイベントで
自分に挨拶してくれるみなさんと少し話し始めると
ほとんどの人が涙を浮かべていました

 

「町に帰って来たいけど大学が再会されないとアパート直しても意味がないし、、、、」

ほとんどの家屋が被害に在っています

みんながバラバラになった切なさと
子供たちとの再会が嬉しかったのか
そしてなによりまだ震災から半年しか経っていないという事
キャンドルを灯す事くらいしか出来なかったでしたが
泣きながらも笑顔で再会を喜びあっているその時間はとても素敵なものでした

その時に
フェス屋である自分の

「フェスはこうあるべき、もっとあんなこと、こんなことも、、、、」

そう考えすぎていたことを反省しました

この学校でまたいつかみんなで再会できたらいいな

そして
その時にあったらいいなあと思ったのは
SOTEの黄色いフラッグと、餅つきと、希望の風船
そして新潟のみんなが灯す、メッセージキャンドルでした

SOTEを作る地元の子たちに
あれやこれやを求めてきましたが
新たな被災地で
復興を目指そう!という時に
ここでいったい何が出来るのだろう?と考えた時
SOTEの仲間達が作り上げて来たもののすべてが浮かびました

被災地巡りばかりしていると実際は移動の時間がほとんどで
いろいろなことを考えます

今年も早くからSOTE会場に来ていますが
すでに黄色いフラッグがいくつかなびいていました

町の中にではなく会場に続く坂道です

ここにフラッグをつけるのは町の人ではなく
”おにい”と呼ばれるスタッフただ一人です

たまに手伝いの子もいますが
だいたい毎年おにいは一人で、大きなはしごを軽トラに乗せて
淡々と黄色いフラッグを取り付けていきます

おにいは何を考えながら
いろいろなメッセージが書いてあるフラッグを付けているのかなと思いました

にぎやかなお祭りの影で
いつも下支えをしてきていたおにいが
今は実行委員長としてやってくれています

けして人をまとめるのが上手いわけでもなく
話しが上手いわけでもないおにいですが
朝でも夜でも一人で淡々と作業するおにいがいるので
このSOTEが続いています

 

ずっと続ける事の大切さは続けてみなければわかりません

その時々にたくさんの学びがきっとそれぞれに在るのだと思います

ずっと続けていった先

30年後くらいに地元のお祭りになっていた

でもいいかもしれないし

フェスやお祭りではなく「SOTE」は「SOTE」でいいのかもしれません

9年目のSOTEですが
新潟のみなさんぜひ来てみて下さい

 

よろしくおねがいします

もちろん全国のみなさんも!!

「にいがたからみんなえがおに」

仮設住宅が中学校のグラウンドに三年間あり
グラウンドで体育ができなかった子供たちが当時考えてくれたメッセージです

新潟中越地震以降
子供たちがかわいそうだから
学校での仮設住宅はやめようとなってしまいましたが
当時の子供たちは仮設のおじいちゃんおばあちゃんたちとの交流や
自分たちのような外部との交流もよかったようです

当時中学生だった子達も今は大人となり

一緒にSOTEを作る仲間になっています

にいがたを続けて来たから東北にも熊本にも向き合える自分がいます

「にいがたからみんなえがおに」

このメッセージに今あらためて感謝です

みなさん
10/23新潟県長岡市川口運動公園でおまちしております

 

http://www.songoftheearth.info